日本でサッカーワールドカップが開催された年、全国に”にわかサッカー評論家”がたくさん発生した。
最近、世界経済の低迷や日本経済の低迷に際して、たくさんの”にわか経済評論家”が発生している。
合わせて、政治に関しても”にわか政治評論家”があちこちで発生している。
”にわか***評論家”は、身近なところにたくさんいる。
おそらく、どんなことでも評論してしまうのだろう。
そうした人は、いつも評論側にいるのみで、自ら背負った立場を取らないことが多い。
評論されるのが怖いからであろう。
ただ評論しているのみ人の意見には、本質的には誰も耳を傾けない。
評論しているのみでは、自分自身は何も進化しないということに気がついているのだろうか。
背負うものを持って評論したり、深いところまで理解して評論している人の意見は、耳を傾ける。
と、たまに思う。
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